東京高等裁判所平成21年12月21日(判タ1365号223頁)

裁判の中身は,托卵された父親が子どもの成人後に離婚裁判において,その子どもと血がつながっていないことが分かり,離婚裁判では離婚と妻からの慰謝料(600万円)が確定した後,托卵に対しての慰謝料と,子どもに費やした金を返せと請求した事案です。請求はどちらも認められませんでした。
ただ,この裁判例を紹介しようと思ったのは,育児を「金銭には代えられない無上の喜びや感動」の体験が与えられるものと表現しているからです。
つまり,子どもを育てることは「無上の幸福」体験なのですから,これを奪われることは「無上の幸福追求権の侵害」と言えます。

控訴人 X
上記訴訟代理人弁護士 森川文人
被控訴人 Y
上記訴訟代理人弁護士 藤本利明

主文
一 原判決主文第一項を次のとおり変更する。
(1) 控訴人の請求のうち慰謝料の部分に係る訴えを却下する。
(2) 控訴人のその余の請求を棄却する。
二 控訴人の当審で拡張した予備的追加的請求に係る訴えを却下する。
三 当審における訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由
第一 請求
一 控訴の趣旨
(1) 原判決を取り消す。
(2) 被控訴人は,控訴人に対し,三三〇〇万円及びうち一五〇〇万円に対する平成一七年六月二五日から,うち一八〇〇万円に対する昭和五八年一〇月九日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(ただし,上記一八〇〇万円に関する部分は当審における予備的追加的に拡張された不法行為に基づく損害賠償請求を含む。)
(3) 訴訟費用は第一,第二審とも被控訴人の負担とする。
(4) 仮執行宣言
二 控訴の趣旨に対する答弁
(1) 本件控訴を棄却する。
(2) 主文二項同旨
(3) 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二 事案の概要
一 本件は,平成一八年六月一日に裁判上の離婚となった元夫である控訴人と,元妻である被控訴人との間の離婚訴訟が終了した後の争訟事件であり,控訴人は,被控訴人に対し,以下の支払を求めた。
(1) 控訴人の嫡出子として育ててきたZが控訴人の子ではなく,被控訴人とその不貞相手との間の子であったことについて,不法行為に基づき,慰謝料一五〇〇万円及びこれに対する不法行為の後の日である平成一七年六月二五日か ら支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金
(2) Zが真実は控訴人の子ではなかったことについて,控訴人がZの養育費相当額として被控訴人に交付していた金員が法律上の原因のない支出であるとして,不当利得返還請求権に基づき,Zが成人に達するまでの二〇年間にわたって被控訴人に交付したという養育費相当額として一人〇〇万円の返還及びこれに対するZが出生した日の翌日である昭和五八年一月九日から支払済みまで民法七〇四条所定の法定利息
(3) (当審における予備的追加的請求)
(2)の養育費相当額は,被控訴人が真実(Zが控訴人の子ではない事実)を隠蔽して支払う必要のない支出を控訴人に強いた詐欺的不法行為であり,上記一八〇〇万円はかかる意味での不法行為により被った財産的損害であるとして(2)と同額の金員 「二 控訴人の上記各請求に対し,原審は,慰謝料請求については本訴事件における慰謝料請求と前訴における慰謝料請求は訴訟物が同一であり,不当利得返還請求については,権利の濫用として許されないとして,控訴人の請求をいずれも棄却したが,控訴人は,これを不服として控訴を申し立てた。
三 前提事実(認定事実末尾に証拠を掲記)
(1) 控訴人と被控訴人は,昭和五一年一月二六日,婚姻した。
(2) 被控訴人は,昭和五八年一〇月八日,Zを出産し,同人は控訴人との間の長男として出生届けがされた。
(3) 被控訴人は,平成一七年,控訴人に対し,離婚と慰謝料の支払を求める訴え(東京家庭裁判所平成一七年(家ホ)第一三八号)を提起し,これに対し,控訴人は,被控訴人に対し,離婚と慰謝料の支払を求める反訴(東京家庭裁判所平成一七年(家ホ)第三八四号。以下本訴と併せて「前訴」という。)を提起した。
(4) 前訴第一審において,ZのDNA鑑定が行われ,平成一七年六月二四日ころ,控訴人とZの間に生物学的な親子関係は存在しないとの鑑定結果が出た(甲二,乙一)。
(5) 東京家庭裁判所は,双方の各離婚請求を認容したが,慰謝料請求については,控訴人の被控訴人に対する請求についてのみ四〇〇万円を認容した。
(6) 上記判決については双方から控訴(東京高等裁判所平成一七年(ネ)第五九五五号,附帯控訴平成一八年(ネ)第七四五号)があり,東京高等裁判所は,平成一八年五月一七日,被控訴人に対してのみ慰謝料六〇〇万円及びこれに対する遅延損害金の支払を命じ(以下「前訴控訴審判決」という。),控訴人と被控訴人は,同年六月一日,同判決の確定により裁判離婚となった。
(7) 控訴人が申し立てた親子関係不存在確認申立事件(同裁判所平成二〇年(家イ)第五三六八号)について,平成二〇年九月二二日,控訴人とZとの間に親子関係が存在しないことを確認する旨の審判がされた(甲二,乙二)。
四 争点及び当事者の主張は,次のとおり付け加えるほか,原判決「事実及び理由」中の「第五 争点に関する当事者の主張」(原判決四ページ八行目から六ページ一行目まで)に記載のとおりであるからこれを引用する。
(1) 原判決四ページ一二行目の「争点一について」を「慰謝料請求について」に改める。
(2) 原判決五ページ一一行目の「争点二について」を「不当利得返還請求について」に改める。
(3) 当審における予備的追加的請求についての主張
(控訴人)
Zが控訴人の子ではない事実及びその事実をZの成人まで隠蔽してきた被控訴人の行為は,真実を告げれば必要のない支出を控訴人に余儀なくさせた詐欺的不法行為であり,そのために支出させられた養育費相当額は財産的損害であるからこれを請求する。
(被控訴人)
争う。なお,控訴人は前訴事件の控訴審において,それまでの慰謝料五五〇〇万円の主張を経済的損害一八〇〇万円と精神的損害(慰謝料)三七〇〇万円に変更して判断を求め,前訴控訴審判決はこれを判断し,確定している。

第三 当裁判所の判断
一 前記前提事実,《証拠略≫によれば,次の事実が認められる。
(1) 被控訴人は,平成一七年,控訴人に対し,婚姻を継続し難い重大な事由があるとして離婚を求めるとともに,婚姻中の不法行為に基づき,慰謝料五〇〇万円の支払を求める訴えを提起した。
これに対し,控訴人は,被控訴人に対し,婚姻を継続し難い重大な事由があるとして離婚を求めるとともに,婚姻中の不法行為に基づき,慰謝料五五〇〇万円及び控訴人が被控訴人に預けた金員を被控訴人が着服し又は遊興費に費消したことによる損害賠償金一五〇〇万円並びにこれらに対する遅延損害金を求める反訴を提起した。(以上が前訴である。)
(2) 前訴第一審手続において,控訴人とZとの間の親子関係の存否に関してDNA鑑定が実施され,平成一七年六月二四日ころ,両者の間に生物学的な親子関係は存在しないとの鑑定結果が出た。
(3) 東京家庭裁判所は,控訴人と被控訴人双方の各離婚請求をいずれも認容し,被控訴人の控訴人に対する不法行為に基づく慰謝料請求を棄却し,控訴人の被控訴人に対する不法行為に基づく慰謝料請求については,慰謝料四〇〇万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で認容し,その余の請求を棄却する旨の判決を言い渡した。
(4) 上記判決に対し,控訴人からの控訴及び被控訴人からの附帯控訴があり,控訴人は,控訴審において,第一審における慰謝料五五〇〇万円の請求を,経済的損害一八〇〇万円,精神的損害(慰謝料)三七〇〇万円の請求に変更した。そして,経済的損害については,「控訴人がZのために出損した費用は,本来であれば負担する必要がなかったものであり,その経済的損害は月額七・五万円(平成一七年の月額平均子育て費用)×一二か月×二〇年としても,一人〇〇万円を下ることはない」と主張し,精神的損害(慰謝料)については,「被控訴人は,不貞関係を持ち,その結果Zを懐胎,出産し,その後二〇年以上にわたり,Zが控訴人の子である旨控訴人をだまし続けて,控訴人にZを養育監護させてきた。これによって,控訴人は常人には想像し難い精神的苦痛を味わい,これからも味わい続けるのである。」などとして,「控訴人の被った精神的苦痛を慰謝するには,三七〇〇万円が相当である」と主張した
(5) 東京高等裁判所は,平成一八年五月一七日,被控訴人に対して慰謝料六〇〇万円及びこれに対する遅延損害金の支払を命じた上で,控訴人のその余の請求をいずれも棄却し,被控訴人の附帯控訴を棄却する旨の前訴控訴審判決を言い渡した。この判決は平成一八年六月一日に確定した。
(6) 前訴控訴審判決中,控訴人の被控訴人に対する慰謝料請求を一部認容した点に関する判示内容は,「控訴人と被控訴人の婚姻関係が破綻した主たる原因は,被控訴人が婚姻直後に不貞行為に及び,次いで昭和五七年ころにも不貞行為に及んでZを懐胎,出産し,これを約一八年もの間,控訴人に隠し続けていたことにあるものというべきであるから,被控訴人は,上記の重大な背信行為により婚姻破綻に至ったことについて,控訴人に対し,不法行為に基づく損害賠償義務があるというべきである。」,「上記の被控訴人の不法行為によって控訴人が受けた精神的苦痛を慰謝するには六〇〇万円をもって相当と認める。」というものであった。また,控訴人請求に係る経済的損害を棄却した点に関する判示内容は,「控訴人とZとの間に生物学的親子関係がなかったとしても,妻である被控訴人が懐胎,出産したZは法律的に家族の一員であり,一家の主として控訴人がその生活費を支出したことについて,これを損害ということはできないものというべきである。」というものであった。
(7) その後,控訴人は,東京家庭裁判所に対し,Zを相手方として,親子関係不存在確認申立事件を申し立て,同裁判所は,平成二〇年九月二二日,控訴人とZとの間に親子関係が存在しないことを確認する旨の審判をし,控訴人とZとの間の法律上の親子関係も否定された。
二 慰謝料請求について
(1) 控訴人は,前訴控訴審判決は,離婚そのものによる慰謝料の請求を認容したものであるのに対し,本訴の慰謝料請求は,離婚原因たる個別の有責行為による慰謝料の支払を求めるものであり,訴訟物が異なると主張して,上記判決において認容された慰謝料六〇〇万円とは別途,慰謝料一五〇〇万円の支払を求めている。
ところで,離婚に伴う慰謝料請求は,相手方の一連の有責行為により離婚を余儀なくされたことの全体を一個の不法行為として,それから生じる精神的苦痛に対する損害賠償請求と扱われるのが通常であるが,その場合,その間の個別の有責行為が独立して不法行為を構成することがあるかについては,当該有責行為が性質上独立して取り上げるのを相当とするほど重大なものであるか,離婚慰謝料の支払を認める前訴によって当該有責行為が評価し尽くされているかどうかによって決するのが相当である。
これを本件についてみると,前記認定事実のとおり,前訴は,控訴人が離婚の主たる原因は被控訴人の度重なる不貞行為にあり,その結果,被控訴人が他人の子であるZを懐胎,出産した上,その後二〇年以上にわたりZが他人の子であることを控訴人に隠し続け,控訴人をしてZを養育監護させ,これによって精神的苦痛を被ったと主張して,被控訴人に対して三七〇〇万円の慰謝料請求をし,前訴控訴審判決は,控訴人主張の上記事実を認定した上,控訴人が受けた精神的苦痛に対する慰謝料として六〇〇万円を認容し,その余を棄却したという内容のものである。そして,本訴において,控訴人が不法行為を基礎づける事実として主張するのは,前訴控訴審判決の上記事実と同じ事実である。
そうすると,前訴控訴審判決は,本訴の不法行為を基礎づける事実と同様の事実を評価して,三七〇〇万円の慰謝料請求のうち六〇〇万円を超える部分の慰謝料請求を排斥したものであるから,本訴の提起は,前訴において主張されて評価が尽くされた事実に基づいて慰謝料の支払を再度求めているものにほかならない。他方,被控訴人において,前訴控訴審判決によって,同等の事実に基づき上記金額を超える賠償請求をもはや求められることはなく紛争が決着しもはや訴訟その他の紛争を引き起こされることはないものと信頼したものと認めるのが相当であり,その信頼は法制度上正当なものとして保護されるべきものであるから,控訴人が本訴を提起することは上記信頼関係を侵害するものであり,適正・衡平を著しく欠いた行為であるというべきである。以上の諸点からすると,本訴は前訴と実質的には紛争の実体は同一であり,単に既判力に抵触するというにとどまらず,前記認定のとおり,十分な審理を尽くした上で司法判断を経て決着した紛争をあえて蒸し返すものであるといわざるを得ないから,信義則に反して許されないものと解するのが相当である。
(2) 以上の次第であるから,控訴人の被控訴人に対する慰謝料請求に係る部分の訴えは不適法というべきである。
三 不当利得返還請求について
(1) 控訴人は,前訴控訴審判決の確定後,控訴人とZとの間に親子関係が存在しないことを確認する旨の審判を受けたことを踏まえ,控訴人がZ出生時から同人が二〇歳になるまでの間に控訴人に対して交付した同人の養育費相当額一八〇〇万円は本来であれば負担する必要がなかったものであるとして,法律上の原因のない支出を強いられたものであり,反面,被控訴人において同額の不当な利得をしている旨主張する。
しかし,控訴人がZのためにのみいつの時点で一八〇〇万円に達する養育費を負担したのかについて主張立証はなく,不当利得返還請求権における控訴人の損失額及び被控訴人の利得額の双方についてこれを具体的に確定することはできないのであるから,まずこの点から上記請求には問題がある。
もっとも,控訴人が相当額の上記養育費を支出したことは事実であり,これをすべて否定することはできないのであるが,そうであるとしても,かかる養育費相当額を目的とする不当利得返還請求は法規範の要請と相容れないというべきものであり,かかる請求を容認することはできない。すなわち,まず,控訴人がZの養育費を支払ったのは被控訴人との婚姻関係の継続中のことであるところ,法律上控訴人は,妻である被控訴人と嫡出子の推定を受けるZに対し婚姻費用を負担し(民法七六〇条),上記養育費用もその一部として支払われていたのであるから,これは被控訴人及びZのいずれとの関係でも法律上の原因に基づいて支払われていたものであり,ここに不当利得の観念を入れる余地はなく,上記養育費相当額について不当利得にかかわる損失ないし利得を観念することができない。
に照らしても,上記費用は専らZの養育に投じられたものというべきであり,したがって被控訴人がその利得を得たものでないことは明らかであるから,この点からも被控訴人に控訴人が支払った養育費相当損害に対応する利得を得ていることを観念することはできない。
そして,何よりも,不当利得の法理は,公平の理念に基づき,法律上の原因なく生じた利得者と損失者間の均衡を図ろうというものであるが,それは一方が利得し他方がその結果損失を被っている状態を放置しておくことを正当としない状態,すなわち全法秩序が是認しない違法状態とみてこれを是正しようとするものと解される。このような不当利得における違法状態があるかを本件についてみる。取調済みの全証拠及び弁論の全趣旨によれば,控訴人とZの関係は,少なくとも同人が実子ではないことが発覚するほぼ成人に達する年齢までは父と息子として良好な親子関係が形成されてきており,その間控訴人は,実子という点を措いてみても,Zを一人の人間として育て上げたのであり,その過程では経済的費用の負担やその他親としての様々な悩みや苦労を抱えながらも,これらのいわば対価として,Zが誕生し乳幼児期,児童期,少年から大人への入り口へと育っていく過程に子を愛しみ監護し養育する者として関わりながら,その成長の日々に金銭には代えられない無上の喜びや感動をZから与えられたことは否定できるものではあるまい。また,養育を受けたことにつきZには何らの責任はない。このように見てみると,控訴人がZに養育費を投じた結果に是正をしなければ法規範の許容しない違法な不均衡状態があるなどと解することはできな
むろん,自らの不貞行為によりもうけた他人の子をそうとは知らせないままいわば騙して控訴人にわが子として育てさせた被控訴人の責任は軽くはないが,これにより控訴人に与えた精神的,財産的損害の回復を図る民事法上の法理としては不法行為法理が用意されているのであり,これにより責任を取らせるべきものである。そして,上記不法行為責任については,既に前訴控訴審判決により解決済みであり,控訴人がその内容に不満を残しているとしても,法制度上はこれを蒸し返すことは許されない。
以上,いずれの観点から検討してみても,控訴人の被控訴人に対する養育費相当額の不当利得返還請求は理由がないというべきである。
(2) 控訴人は,上記不当利得返還請求が容認されない場合として,予備的追加的に不法行為に基づき同額の経済的損害の賠償を求めるが,これは既に前訴控訴審において審理判断されており,明らかな蒸し返し訴訟となり,前記慰謝料請求の訴えについて述べたとおり,不適法な訴えというべきである。
四 よって,控訴人の本件各請求のうち,慰謝料の支払を求める部分は不適法であるからこれを却下し,その余の請求は棄却すべきであり,控訴人の本件各請求の全部を棄却した原判決中これと異なる部分は相当でないから,その旨原判決の主文第一項を変更し,また当審における予備的追加的請求に係る訴えは不適法であるからこれを却下し,主文のとおり判決する。

第15民事部
裁判長裁判官 藤村啓
裁判官 坂本宗一
裁判官 大濱寿美

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